僕にとって絵は時間をかけた日記のようなものだ。
そこに決まったテーマや何を物語ろうという意図はない。
日記はその日にあった出来事や最近あったことを書くけれど、
僕の日記は今まで見てきたもの、
見えてきたもの、幼い頃に感じた原体験のようなもの、
それらが全てごちゃまぜになって現れていく。
僕は絵を描くとき、日記を記すようにごちゃまぜになったものを
絵を描くという衝動としてそこに集約させている。
衝動は様々なモチーフや色となってそこに集約される。
色彩は何かを語るものではなく、語る前の感覚や記憶が、
無意識のうちに溢れてしまう衝動である。
それはまるで日記のように、断片的なようでいて、
ひとりの個人の記憶として繋がっている。
僕は描く/書く、何者かであろうとする、全ての存在へ。

何者かであろうとする、全ての存在へ。
To Every Being Trying to Be Someone.
2025 / 2273mm x 1818mm / Acrylic on Canvas

L’Aube
2025 / 1620mm x 1620mm
Acrylic on Canvas
色彩は痛覚である
すべての色彩は
痛覚というフィルターを通して
表現される
感情が痛みとして感じられるとき
そこに色が生まれる
だから
この世界を豊かに感じた分だけ
色彩は広がっていく
色彩が豊かであればあるほど
日々はより
鋭く深いところまで差し込まれる
幼い頃に感じていた
ただ漠然とした虚しさのように
そこに言葉を持たない痛みがある
生きているということに対する
この世界に対する
この世界に存在する
すべてのものに対する
痛みがある
そして
自分という存在に対する痛みがある
何者かであろうとする
全ての存在への痛みがある

森の中の気配 The Presence in the Forest
2024 / 1620mm x 1303mm
Acrylic on Canvas

補完し合う記憶 Complementary Memories
2024 / 1167mm x 1167mm
Acrylic on Canvas

別府倫太郎( 2002年生まれ・新潟県十日町市在住 )
幼少期から「他者に見られている感覚」に強く影響を受けながら育ち
作品には「目」のモチーフが繰り返し現れる。
また、「赤い木」などの色彩を生命の内側にある衝動として
とらえ、絵画の中に有機的・象徴的に描き続けている。
本人は ”色彩は痛覚である” と語る。
“すべての色彩は、痛覚というフィルターを通して表現される。
感情が痛みとして感じられるとき、そこに色が生まれる。
この世界を豊かに感じた分だけ、色彩は広がっていく。”
森の中や闇の中に感じる「見られている気配」、幼い頃に抱えていた
漠然とした虚無感や、存在への痛み——
そうした原体験が彼の色彩とイメージの根底にあり、それらをもとに
見ることに内在する心理的・哲学的な問いを表現している。
表現は絵画だけにとどまらず、幼い頃から「描くこと」と「書くこと」
の両方で自己と世界を見つめてきた。
2017年には文藝春秋より初の著書『別府倫太郎』を刊行。
以後、『ユリイカ』(青土社)、『文春オンライン』などにも寄稿し、
現在は個人文藝誌『レゾンデートル』を執筆している。
絵とことばの両方で、見ること/見られること、
生きること/痛みを受け取ることを問い続けている。
